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公民館について

金沢市地区公民館概要

 金沢では、古くから町内自治、善隣館活動など相互扶助の精神による自治活動が行われてきました。

 一方で、昭和22年教育基本法の公布により公民館の設置が明文化されました。

 戦災を免れたこともあり、町内会組織を復活し自らが学ぶための公民館活動が、地域による自主運営方式で進められてきました。

 このことにより、校下(小学校区)を単位として地域意識が強まり、「各校下に一つずつ公民館が欲しい」という市民の要望に応えるため、運用財源の一部を地元負担で賄うという方式が採られました。

 市内に地区公民館が60館もある都市は全国的にもめずらしく、地域の独自性を尊重し、運営費の一部を地域住民自らが負担していこうという精神が『金沢方式』と言われる由来です。

金沢方式とは

金沢の地区公民館は「金沢方式」と呼ばれる全国でも特色ある運営方式をとっており、地域の生涯学習の場として、極めて充実した活動を展開しています。

金沢方式3つの特色

  1. 地域主導・・・・・運営(維持管理、役職員選任)を各地域に委託しています。館長は運営審議会で推薦され、その館長が地域から主事、主事補を採用、さらに必要に応じ組織を自由に構成しその役職者を選任します。(副館長、総務部等)
  2. ボランティア・・・活動の多くは金沢独特の公民館委員がボランティアとして、各町内で公民館活動の地域への浸透を図る役割を果たしています。
  3. 地元負担・・・・・公民館の運営を地域が主体となって行うという面からも、公民館の運営費や施設の整備費、公民館の建設費の一部は、地元負担によってまかなわれています。(運営費 1/4、施設の整備費 1/3)

医王山地区の紹介

 医王山地区とは、金沢の東、富山県との県境に位置し、清水町・田島町・二俣町・荒山町・砂子坂町・奥新保町の6つの町を含んでいます。

 明治22年、八つの村を一つの行政区域とし、医王山村と称しました。明治40年には医王山・金浦・湯谷の4三か村が合併して浅川村が成立。昭和32年に金沢市に編入され、同時に部落名も変更になり今に至ります。

 この地域は大部分は森本川上流に位置しており、川の沿岸の小平地を除いてはほどんど山地であり、稲作のみでは生活できないので、古来、製紙、薪炭、石切などに依存していました。

 中でも二俣・田島は古くから紙の生産地として名を知られ、紙漉きの里でもあります。

現在は紙を漉く件数も減っていますが、紙すきの里まつりでは多数の来場があり、紙漉き体験を通して医王山地区の魅力を沢山の方に伝えています。

 また、金沢市無形文化財に指定されている『二俣いやさか踊り』も地域の伝統芸能として名を知られ、毎年、旧盆の十五夜は蓮如ゆかりの本泉寺境内にやぐらをかけ、笹りんどう(源氏の家紋)を染めぬいた衣装で7種類の踊りを披露しています。